2024 09,28 11:18 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2014 10,04 00:28 |
|
井宿のキャラソン「花鳥風月」の歌詞を考えてみた。
以下、ゆまが勝手に思う事です。原曲の本当の意味とは関係ないです! 井宿らしく(というより旅人)自然いっぱいな雰囲気の歌詞。 ・・・と、今書いて思ったけど原作で自然と戯れる井宿っていたっけ? もしかしてこの曲のイメージで井宿=自然になってたりして??? 洪水のことや、能力の事、仲間を見守っているような感じもするし井宿らしい曲! と、思っていたけど。ふと、 「悲しみの河を超えて、オイラは水晶(2番は透明)になる」 え? 悲しみの河(洪水のことだよね!?)それを水晶や透明にする??? それを「希望を通すのだ」って。 過去の事を乗り越え希望にするって、そんなこと1部井宿に出来るわけがない(妄想含む) 2部は後付けとはいえ、2部で飛皋と戦って折り合いをつけることがやっと出来たと思ってる。 1部じゃないとすればいつ?(注:1部アニメの頃に出た曲なので1部井宿の曲だと思ってた) 「美朱に会う前の井宿」という言葉を拝見して気づいたけど、 「技を極めて、力蓄える」とあるじゃないか! 力蓄えるってことは1部じゃない。 朱雀の巫女を待ってたんだ。 だとしたら洪水後~美朱たちに会う前。蓄えるってことは洪水直後でもない。 こんな感じの事を考えつつ全体的に歌詞を見たら、 修行時代中期以降~美朱に会う前に「こうありたい」と思っていた芳准の井宿像なのかなと。 井宿の井宿像じゃなくて、芳准の井宿像。 歌詞を一つ一つ見てたらなんかアンバランスな感じがするけど感じるのは前向きさ。 辛いこともあったけどそれすら力にする! 能力も使いこなして、朱雀を呼び出す! 父や母と出てくるのは心にある甘えと不安。 本当は自分1人じゃどうしていいか分からない…という思い。 だから「人は1じゃない」そういや原作2部でも言ってましたね。 きっと修行時代太一君は教えてくれなかったでしょうね。 娘娘はフォローはするけど「人」ではないし、結局は朱雀神と同じ天上人。 愛って何?分からないからうまく生きていけない。 書いてて分からなくなってきたけど、今感じたのはこんなのでした。 皆さんはどう思いますか? PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
忍者ブログ [PR] |